泉源の聖地、聖賢の賛歌

「勝日芳しきを尋ねり泗水の浜、無辺の光景一時に新たなり(よく晴れたよい日に泗水の浜へ春の花を尋ねに行き、さえぎるもののない光景がひときわ爽やかだ)」。泗河を遡って泗水泉林に着いた。

私の故郷である泗水には、非常に魅力的な風水の宝地があり、宝石が湧き出すように水が湧き、水草が漂っている。それが人々に愛される泉林である。泉林を訪れると、先に見たいという願望が自然と湧き上がる。その名にふさわしいと実感した。

見よ!その泉水は明るく碧緑色で、池からあちこちに湧き出る光り輝く真珠の泡が、一つ一つ、一串ずつ、大小さまざま、乱れ乱れ、競い合うように輝く。泉水は澄みきって底が見え、底には五色に輝く丸石があり、真珠のような水泡が連なり、水面には微かな波紋が広がる。聞け!澄んで底が見える泉水は、高かったり低かったり、時には緩やかで時には急で、異なる音を発している。中には虎の吼えるような大きな音や、秋雨のような細かい音もある。味わえ!一口の泉水は清涼で心地よく、とても甘く美味しく、心が晴れやかになり、余韻が尽きない味わいである。

ここは泗河の源であり、儒教文化の重要な発祥地でもある。2500年前、孔子は弟子たちを連れて泉林にやってきて、ここで授業を行い、瞑想にふけった。泉林の泉水が絶え間なく流れ、昼夜を問わず流れるのを見て、心に感慨深く、「逝者如斯夫、不舍昼夜(昼となく夜となく、ひとときもとどまることはない)!」と長いため息を上げた。同時に、泗水に「渇しても盗泉の水を飲まず(自分がいかに困苦していても、不正なことや不義理なことには、いっさいかかわらない)」という言葉を残した。孔子はここで彼の最も得意な弟子である子路を受け入れ、子路はここで成長し、「ヒャクリにこめをおう(貧しい暮らしのなかで、親に孝養を尽くすたとえ)」という美名を残した。

孔子の登場は泗水に濃厚な文学的色彩を加えた。泉林の水は自然の神秘的な贈り物だけでなく、東夷文化を背負っている。孔子はこの肥沃な土地に仁愛の種をまいた。この種は思想文化の潤いによってしっかりと成長し、芽を出し、花を咲かせ、思想の花を咲かせた。

歳月の洗礼を経て、泉林はますます安定し、落ち着いている。天体の移り変わりや世の中の激変にも関わらず、泉水は相変わらず勢いよく湧き出し続け、まるで泗水という土地の神秘的な魅力と無限の活力を私たちに語りかけているかのようである。泉林の滋養と儒教文化の影響を受けながら、揺るぎない信念を守り、一歩ずつ進んで、揺るぎなく私たちの泗水を誰もが憧れる理想の楽園に築き上げよう。

清らかな泉の音が響く中、ゆっくりと夢の中の里へ!