プロジェクト研究から防災新ビジネスを構想 熊平製作所 | 2022年9月号 | 事業構想オンライン

プロジェクト研究から防災新ビジネスを構想 熊平製作所 | 2022年9月号 | 事業構想オンライン

金庫設備やセキュリティシステム大手の熊平製作所は、次代の経営の柱となる新規事業の開発を目指して、事業構想大学院大学 事業構想研究所の「プロジェクト研究」に2021年度から2年連続で社員を派遣している。熊平明宣社長に派遣の狙いや成果を聞いた。 熊平 明宣 熊平製作所 代表取締役社長 持続可能な経営のために新規事業開発人材を育成 創業から120年を超える熊平製作所(広島市)。創業以来の事業である金庫設備は金融機関向けで国内トップシェアを誇り、「金庫のクマヒラ」というブランドを確立しているほか、入退室管理システムや録画監視システムなどのセキュリティシステムも幅広く手掛けている。「弊社は創業100周年ごろからハードウェアだけでなくソフトウェアを含めたセキュリティ事業へと事業ドメインを広げてきましたが、持続可能な経営のためには、これからも新規事業の開発が大切な要素だと認識しています」と代表取締役社長の熊平明宣氏は話す。 金融機関向け金庫設備で国内トップシェア 「組織体制面では、これまで新規事業開発を担当していた企画部企画グループを2022年度から『新規事業開発部』に変更したほか、クマヒラグループ内にイノベーション研究所を新設し、社内外に新規事業開発に取り組む姿勢を打ち出しました」 これに加えて新規事業開発を担う人材の育成も検討していたとき、事業構想大学院大学 事業構想研究所の「プロジェクト研究」に出会ったという。 ...
ミラノで話題をさらった、パナソニックとGO ONのコラボレーションによる「Electronics Meets Crafts:」 | 日本の美意識で世界初に挑む

ミラノで話題をさらった、パナソニックとGO ONのコラボレーションによる「Electronics Meets Crafts:」 | 日本の美意識で世界初に挑む

NHK「プロフェッショナルの流儀」で紹介され話題沸騰! 1200年続く京都の伝統工芸・西陣織の織物(テキスタイル)が、ディオールやシャネル、エルメス、カルティエなど、世界の一流ブランドの店舗で、その内装に使われているのをご存じだろうか。衰退する西陣織マーケットに危機感を抱き、いち早く海外マーケットの開拓に成功した先駆者。それが西陣織の老舗「細尾」の12代目経営者・細尾真孝氏だ。その海外マーケット開拓の経緯は、ハーバードのケーススタディーとしても取り上げられるなど、いま世界から注目を集めている元ミュージシャンという異色の経営者。そんな細尾氏の初の著書『日本の美意識で世界初に挑む』がダイヤモンド社から発売された。閉塞する今の時代に、経営者やビジネスパーソンは何を拠り所にして、どう行動すればいいのか? 同書の中にはこれからの時代を切り拓くヒントが散りばめられている。同書のエッセンスを抜粋してお届けする。 Photo: Adobe Stock ミラノサローネの展示場所を探すところからスタート  前回ご説明したように、パナソニックとGO ONがコラボレーションしてミラノサローネへ出展するという、またとない機会をいただいたわけですが、問題は時間でした。  ミラノサローネまでは半年を切っていました。急遽それに向けて動き出すことになりました。準備期間が短いというものの、規模や期待も大きな出展です。  コンセプトはあったとしても、サローネに向けてブラッシュアップが必要でした。GO ONのメンバーと、ミラノでの展示場所を探すところから始めました。  最終的に、「イタリア国立ブレラ美術アカデミー」という、歴史ある美術館の地下に展示場所を確保することができました。その一階には美術アカデミーがあります。日本でいう東京藝術大学です。そこの地下の美術保管庫を借りることができました。  日本企業でそれまでその場所を使ったところはありませんでした。  私たちがなぜ美術保管庫がよかったかというと、京都の町家で展示したような、長い木のカウンターのような展示台を通したかったからです。ブレラ美術アカデミーの美術保管庫の地下には、長大なカウンターを通せる空間がありました。  とはいえカウンターの設置は大変でした。三〇メートルもある木の板に、細尾のテキスタイルを使った二〇メートルの板状のスピーカーをつなげる構造です。スピーカーはテキスタイルに織り込まれた箔で輝いていて、未来へと向かう光のような世界を表現したかったのです。合計で五〇メートルほどあったので、職人が現地に行って、大変な苦労をして平行を合わせました。
勝負はオフィスの“片隅”で コンビニ「ポプラ」の挑戦 | NHK | ビジネス特集

勝負はオフィスの“片隅”で コンビニ「ポプラ」の挑戦 | NHK | ビジネス特集

「外まで買いに行くの、面倒だな」職場でそう思ったこと、ありませんか?広島市に本社を置くコンビニチェーン「ポプラ」は、そんな働く人たちのニーズに、活路を見いだし、新たな取り組みを進めています。目をつけたのは、オフィスの“ちょっとしたスペース”です。(広島放送局記者 松井晋太郎) 5期連続赤字 新たな一手は 4月14日、広島市に本社を置くコンビニチェーン「ポプラ」の決算発表の記者会見が開かれました。 店で炊いたご飯が食べられる「ポプ弁」を看板メニューに長年、地元で愛されてきたポプラ。中国地方を中心に全国でおよそ250店舗を展開しています。しかし、その決算内容は厳しいものでした。営業総収入は29%の減収。最終損益は5億1800万円の赤字。債務超過の状態で、配当は無配。最終赤字は5期連続で、経営の立て直しは喫緊の課題となっています。全国にあるコンビニの店舗は、およそ5万6000店舗。ここ数年はほぼ横ばいの状態が続き、大手3社がその大きなシェアを占めているという状況です。 ポプラでは、採算が取れない店舗の閉店などを進め、店舗数はこの1年で3分の2ほどに減らしました。しかし、新型コロナの影響で来店客の減少が続いていることに加え、物流コストの上昇や原材料価格の高騰で経営環境は厳しさを増すばかりです。こうした状況の中、会社は大手に対抗する新たな戦略を掲げました。小型の無人店舗「スマートセルフ」の展開です。会見中、担当者の横に静かに座っていた目黒俊治社長(78)。1つの店舗から事業を興し、創業後46年間で、広島を中心に西日本や東京をはじめとする関東地方などに店舗を展開してきた創業者です。会見で、今後の自社の目指すべき方向を述べました。 ポプラ 創業者 目黒社長「赤字が続いて申し訳なかった。今年度は黒字の見通しを立てているが、やっとこさというところ。コロナで外出しないというところにニーズがある。今まで以上に細分化していく中で、より便利にするという形で進めたい」 勝負はオフィスの“片隅”で ポプラの展開する小型の無人店舗とは、いったいどのようなものなのでしょうか。ねらいを定めたのは、オフィス内の“ちょっとしたスペース”です。職場の中に、いわば超小型のコンビニを作ろうというのです。 店の作りはとにかくコンパクト。わずか1坪のスペースで「開店」可能です。そして運営の手間もコンパクト。店員はおらず、買い物客は自分でレジで精算します。 小型の無人店舗の特徴はこちら。 <ポプラの無人店舗の特徴>・1坪=約2畳分から設置可能・設置は無料 電気代の負担のみ・100~300種類の商品陳列可 品ぞろえはオーダーメード・電子マネーなどで無人決済・店員はなし 商品は、およそ2000種類の中から、オフィスに合わせた品ぞろえにすることが可能です。食事の需要を取り込もうと、ご飯やパスタなどの冷凍食品もそろえています。賞味期限が比較的短い弁当やサンドイッチなどは置けないものの、自動販売機に比べると、商品の数や種類は圧倒的に多くなります。 コロナ禍で外出を控える傾向が定着する中、「交差点を渡ってまでコンビニに出向くのがおっくうだ」「もっと近くで買い物したい」という消費者のニーズに応えることができると考えています。会社では、ことし3月から本格的に事業を開始。広島市内に6店舗を出店、9店舗が準備中です。(6月1日現在)。今も50を超えるオフィスビルと具体的な交渉を進めているほか、全国からも問い合わせが相次いでいます。ポプラでは、2年後にはこうした店舗を120店舗まで増やす計画です。店舗の展開は、オフィスビルだけでなく、工場や学校、病院などにも可能だと考えています。 1坪から展開OK ポプラの勝算は しかし、わずか1坪ほどの小さな店が、ポプラの経営の立て直しにつながるほどの収益を生み出すことができるのでしょうか。ポプラによると、それは十分に可能だと言います。こうした店舗の形態は、1店舗あたりの売り上げがそれほど見込めません。しかし、ポプラが事業を詳細に分析したところ、無人店舗の3店舗分の売り上げを合わせると、既存の1店舗と同じくらい、会社として収益を確保できるというのです。その秘けつは、人件費と物流コストにあります。店員を置かないため、人件費はかかりません。さらに、配送は週に1回。 弁当、雑誌、日用品など、1日に何度も配送が必要なコンビニ特有の物流コストを徹底的に抑えます。そして、専用の物流施設ではなく、既存の店舗の倉庫から商品を配送する仕組みにしたのです。 “待つ”のではなく、“出向く” この無人店舗を考案したのは営業本部長の山下鉄之さん(49)です。 新卒でポプラに入社後、コンビニ業界が右肩上がりで成長してきた時代に、現場の店長や出店の営業などを経験。いわば、現場をよく知る、たたき上げです。しかし、次第に大手のコンビニに売り上げを奪われていく状況を目の当たりにしてきました。だからこそ、消費者のニーズに応える網の目をさらに細かくして、大手の手が十分に届いていないと考えたサービスに目をつけたのです。 ポプラ 山下営業本部長「街に行けば、角ごとにコンビニがある状態です。大手の寡占化が進んでいるのを私自身も感じていて正直、飽和状態で、悔しい思いもしてきました。同じ戦略では厳しい戦いになりますので、ビジネスフォーマットを変えて、お客さまのより近くにお店を作れないかなっていうのはいつも考えています」 どの場所に進出するか? ことし4月、無人店舗を新たに出店する地域について、営業本部の会議が開かれました。 議論になったのは、JR広島駅の南側一帯での出店についてです。ここは、オフィスビルが集中しているビジネス街です。 昼間にはビジネスマンが多く行き交う場所ですが、深夜や休日といった時間帯の客が少なく、店舗を撤退させた大手のコンビニもあるほどです。ポプラはあえて、この場所に目を付けました。多くのオフィスがあるのにもかかわらず、コンビニが意外と少なく、買い物をする場所に困っている人が多いのではないかと考えたからです。「公共交通機関を使っている方が多いが、傘の品ぞろえも必要ではないか」「カップケーキのような商品もほしいというのが女性層にあると思う」会議では活発な議論が行われ、山下さんは、この地域での営業を強化するよう指示を出しました。 ポプラ 山下営業本部長「お客さまのニーズも細分化していますし、コロナという中で社会環境も変わってます。身近で手早く、安全に安心して買い物をしたいというニーズは今後も広がっていくと思います。さまざまなお客さまのお声に耳を傾けて、店舗を広げていきたいと思ってます」 足を使って、汗をかいて 会議から2日後、営業の担当者は、さっそく出店を目指す地域に足を運びました。 ターゲットとしたのは、社員が100人規模の会社や信号を渡らないとコンビニがないオフィスなどです。オフィスビルをひとつひとつ確認しながら自分の足で歩いて、新規の出店候補を探っていました。 ポプラ 営業担当者「コンビニにできることは、まだまだ先があると思っています。業界に旋風を巻き起こせるぐらいの実績を上げて、広島から発信していきたいです。赤い看板を絶やさぬよう今後も発展を続けていきたいです」 意地の一手 その行方は 大手3社の寡占化が進むコンビニ業界で、独自の戦略に打って出た広島発のコンビニチェーン「ポプラ」。大手に対抗する意地の一手になりうるのか、その取り組みの行方から目が離せません。 広島放送局記者松井 晋太郎2005年入局スポーツニュース部、ネットワーク報道部を経て広島局ではスポーツや被爆者などを取材週末は少年野球のコーチとして汗を流す

追悼 石原慎太郎氏、震災から7年後に明かした「天罰発言」の真意:日経ビジネス電子版

「いつから日本人は自分のことだけ考えるようになったんだ」 2022.2.1 件のコメント 印刷 ? クリップ クリップしました 作家で東京都知事や運輸相(当時)を務めた石原慎太郎氏が亡くなりました。89歳でした。追悼の意を込めて、2018年3月29日に掲載したインタビューを再掲します。謹んでご冥福をお祈りします。 (日経ビジネス電子版編集部) 東日本大震災の発生から7年が経過した。石原慎太郎氏は当時、東京都知事として東京消防庁ハイパーレスキュー隊の派遣を指示したり、震災がれきの受け入れをいち早く表明したりするなど、被災地の復旧に大きく貢献した。一方で、いわゆる「天罰発言」で批判も浴びた。当時の自分の言動を、石原氏本人は今、どう総括するのか。自宅を訪ねた。 (聞き手 坂田亮太郎) 震災の直後、石原都知事は東京消防庁のハイパーレスキュー隊を現場に派遣しました。 石原:きっかけは、当時の菅直人総理の補佐官を務めていた阿久津(幸彦氏、現立憲民主党衆院議員)くんからの電話だった。彼は、私が代議士をしていた時代に公設秘書を長く務めていたこともある。その彼から、「福島第一原発の原子炉を冷却するために、一刻も早く注水しなければならない。(東京都の)警視庁には強力な放水機能を持つ車両があるから、動員してほしい」と要請があった。 <img src="https://cdn-business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00059/020100334/p1.jpg?__scale=w:500,h:333&_sh=0fa0ea0806" width="500" height="333" alt="石原慎太郎(いしはら・しんたろう)氏 1932年兵庫県神戸市生まれ。52年一橋大学入学、在学中に「太陽の季節」で芥川賞を受賞。68年参議院全国区に出馬しトップ当選。72年参議院議員を辞職。衆議院選挙に旧東京2区から無所属で出馬して当選。76年環境庁長官に就任。87年竹下内閣で運輸大臣に就任。95年議員勤続25年の表彰を受けたその日に辞職を表明。同年、芥川賞選考委員になる。 99年東京都知事選挙に出馬し初当選。2003年史上最高の得票率で再選。07年三選。11年四選。12年に都知事を辞職。 12年「日本維新の会」代表に就任し、衆議院議員とし17年ぶりに国政に復帰。14年「次世代の党」最高顧問に就任。14年政治家を引退(写真:村田 和聡)"/> 石原慎太郎(いしはら・しんたろう)氏1932年兵庫県神戸市生まれ。52年一橋大学入学、在学中に「太陽の季節」で芥川賞を受賞。68年参議院全国区に出馬しトップ当選。72年参議院議員を辞職。衆議院選挙に旧東京2区から無所属で出馬して当選。76年環境庁長官に就任。87年竹下内閣で運輸大臣に就任。95年議員勤続25年の表彰を受けたその日に辞職を表明。同年、芥川賞選考委員になる。99年東京都知事選挙に出馬し初当選。2003年史上最高の得票率で再選。07年三選。11年四選。12年に都知事を辞職。12年「日本維新の会」代表に就任し、衆議院議員とし17年ぶりに国政に復帰。14年「次世代の党」最高顧問に就任。14年政治家を引退(写真:村田 和聡)  それを聞いて怪訝に思ったね。確かに、警視庁は強力な放水機能を持つ放水車を持っている。でもそれは、暴徒を蹴散らすために水を水平に飛ばすようになっている。そのような車両が、原子炉を冷却するような任務に向いているのか、甚だ疑わしい。それで「冷静に判断してほしい」とたしなめたんだ。  それを聞いて官邸も考えたんでしょう。その後、高層ビルの火災の際に使うような、高いところに放水できる能力を持つ消防車を動員してほしい、と再度要請された。  そう言われて、私は重い決断をしなければならなかった。  当時、現地の状況は全く分からない状況だった。壊滅した原子炉から、どれほど多量の放射能が漏れているかも分からない。そんな危険な現場に、レスキュー隊を派遣したら、死者がでるかもしれない。若い隊員が被爆したら、その人の子孫にまで影響が出てしまうかもしれない。しかし、自分が行くわけにもいかない。過酷な現場できちんと任務を遂行するためには、訓練された隊員に任せるしかない。とにかく、戦地に赴く兵隊さんを送り出すような心境だった。 苦渋の決断だった、と。 石原:原発事故は東京だけの問題じゃない。日本全体の問題だった。東京は日本の「要」であるし、東京にしかない能力も備えている。  実は、私のところに様々な情報が入ってきていた。アメリカ政府が東京の大使館員に関東から退避するよう命令を出していたことも(報道が出る前から)耳に入っていた。福島第一原発は、容易ならぬ事態に陥っていた。だからこそ都知事として、私が逃げ出すわけにはいかないと覚悟を決めた。

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【東京】Art for Well-being 表現とケアとテクノロジーのこれから – artscape

シビック・クリエイティブ・ベース東京にて、[展覧会/シンポジウム]Art for Well-being 表現とケアとテクノロジーのこれからが開催されます。 ******* 表現すること、表現に触れること、表現しあうことは、よく生きるために必要です。だからこそ、病気や事故、障害の重度化などによって、心身がどのような状態に変化しても、さまざまな道具や技法、AI(人工知能)やMR(複合現実)などの新しいテクノロジーとともに、自由に文化芸術活動をはじめることや継続できる方法を探っています。…本展覧会は、障害のある人たちの表現活動とケアの現場、そしてテクノロジーとの出会いから見えてきた可能性や課題を展示し、これからの可能性をみなさんと一緒に考えていきます。 展覧会 展示内容 ① 身近な音と新たな音色が生み出す表現 ② なみにふれるダンスワークショップ ③ とけていくテクノロジーの縁結び ④ 福祉×NFTアートによる仕事づくり *詳細はこちらをご覧ください。 シンポジウム 実験的な取り組みに関わってきた障害福祉の現場の人たちや技術者が集い、現時点での課題や期待などを共有しながら今後の可能性や展望について語り合います。 ■シンポジウム①「身体表現とテクノロジーとウェルビーイング」 日時|3/19(水)17:00〜18:30 登壇者|新井英夫(体奏家・ダンスアーティスト)、板坂記代子(踊る手しごと屋)、佐久間新(ジャワ舞踊家)、筧康明(インタラクティブメディア研究者/アーティスト、東京大学大学院 教授)*オンライン登壇、渡邊淳司(日本電信電話株式会社 上席特別研究員) 司会進行: 小林茂(情報科学芸術大学院大学 教授) ■シンポジウム②「ケアの現場で考える、音色生成AI・MRとつくる表現の可能性」 日時|3/21(金)16:00〜18:00 登壇者|木村基(四天王寺和らぎ苑 リハビリテーション室 主任、作業療法士)、
徳井直生(アーティスト、株式会社Neutone 代表取締役)、
武田和恵(福祉とアートのコーディネーター)、菊地将晃(ダンサー)、緒方壽人(デザインエンジニア、Takramディレクター)、清水淳子(デザインリサーチャー) 司会進行: 小林茂(情報科学芸術大学院大学[IAMAS] 教授) 参加費|無料 定員|各回50名(要申込) *詳細はこちらをご覧ください。 ■ギャラリーツアー Art for Well-being プロジェクトスタッフによる展示内容の紹介ツアーを実施します。毎日2回ずつ実施。 [1]14:00~15:00
[2]17:00~18:00  *3/19(水)・3/21(金)除く...

山東省微山県:運河の大市は正月の雰囲気が濃く、生活の息吹で新春を迎える

微山県の運河の大市に入ると、濃厚な正月の雰囲気が押し寄せる。百を超える屋台が通り沿いに並べられ、目を見張るほどの商品と、ひしめき合う人々によって、祝祭的で穏やかな年画のような光景が目の前に広がる。 大运河微山湖博物館の前では、竹馬舞の民俗文化パフォーマンスが多くの市民を引き止めて見物させた。十数人の異なる歴史的人物の扮装をした役者たちが「竹馬」にまたがり、右手に鞭を持ち、リズミカルな太鼓の音に合わせて、器用に跳び、ひっくり返り、走る。馬の姿勢を模倣することで、湖の地域の民間物語と生活シーンを巧みに再現している。円形のフィールドを走る、双四門など様々な陣形の変化で「万馬奔騰」の勢いを演じ、観客席の観客たちを大満足させ、「なかなかだ」と絶賛させた。祝祭の雰囲気が笑い声とともに高まっている。「竹馬舞は年配の師匠に教わったもので、今は暇を見つけて子供たちにも踊り方を教えている。私たち微山の民俗文化を引き継いでいかなければならない」と竹馬舞の役者、郭路路さんは喜んで語った。 年賀用品の大市での特色ある花饅頭もまた一大見どころとなり、市場で大人気を博している。普通の饅頭とは異なり、「花饅頭」はホウレンソウ、かぼちゃ、紫いいもなどの原料を使い、麺彫りの芸術と結びつけて、花や鳥、魚や虫、干支や瑞獣などの縁起のいい要素を巧みに麺生地に溶け込ませている。すべての作品が生き生きとしており、舌の満足だけでなく、伝統工芸の視覚的な饗宴でもある。「師走に入ってから、花饅頭の注文は 1 日に 2、3000 箱に達する。私たちは絶えずイノベーションを重ね、さまざまなデザインの花饅頭や、最新のデザインの花饅頭を消費者に届けていきたい」と山東金味坊食品有限公司の総経理、朱耿梅さんは述べた。 竹馬舞や花饅頭に加えて、獅子舞のパフォーマンス、飴細工、飴絵などの特色ある民俗も大市で「次々と登場」している。 市に始まりながら、市だけに留まらない。微山県は運河の大市を基盤として、新しいアイデアを生み出している。「3、2、1、リンクを掲載!」微山県のメディア融合スタジオで、「微山湖選抜」の公式アカウントが生放送をしている。「今日紹介する商品は私たち微山湖のアヒルの卵の塩漬けです。皆さんご存知のとおり、微山湖は北方最大の淡水湖で、私たちのアヒルは年中魚やエビ、サザエを餌にし、きれいな湖水を飲んで育っています。皆さん、この油っぽい卵黄を見てください。ご飯に合うでしょう」と司会者たちはにこやかに笑いながら、湖の地域の商品の独特な味を詳しく紹介し、画面に表示される多数のメッセージや質問に丁寧に応えている。オンラインの市の盛り上がりは物理的な空間の制限を突破し、一連の EC 生放送は、消費者の多様な年賀用品のニーズを満たすだけでなく、「良品微山」の魅力を全国に広めている。

泗水火焼

私の故郷である泗水には、たくさんの特色ある軽食があります。例えば、煎餅(ジエンピン)、サツマイモ、豆腐皮、春雨などがありますが、私が一番好きなのは火焼です。 火焼は泗水県独特の伝統的な軽食で、皮が薄く、具がジューシーで、食べるたびに深い味わいを感じさせます。市場にはいつもいくつかの火焼の屋台があり、私は市場に行くたびに買わずにはいられません。火焼の屋台には火焼だけでなく、卵スープ、サワラ、茹でたピーナッツなどもあります……これらの小皿やスープと一緒に食べると、火焼はさらに特別な味わいになります。 火焼を美味しく作るためには、具が最も重要です。具の味にはいくつかの種類があります。豚肉とネギ、ニンジンと春雨、唐辛子と豆腐という三種類の具が、最も一般的です。具の味は塩辛すぎてもいけませんし、薄すぎてもいけません。香辛料の味も強すぎてはいけません。火焼を作るには良い油と良い材料を使う必要があり、そうすることで美味しい具が作れます。具が美味しければ、皮も自然と美味しくなり、火焼全体が美味しくなります。火焼を丸ごと手に取り、皮と具を一緒に噛むと、香りがすぐに口いっぱいに広がります。 泗水火焼の具の味付け方は一般のものとは異なり、火焼の作り方もまた技術を要します。おばさんたちはテーブルを囲んで座り、まな板に小麦粉をまぶし、発酵させた生地をこねて空気を抜き、さらに小さな塊に分けます。それを麺棒で細長い帯状に伸ばし、味付けした具を生地の端に置き、生地の細い両端を具の上に折りたたんでから、具を置いた端から巻いていきます。この一連の動作は流れるようにスムーズで、とても熟練しています。包んだ長方形の火焼は木炭の炉に入れられ、おばさんたちは時々火焼をひっくり返して均等に加熱します。 こうして美味しい火焼が出来上がり、温かいうちに食べられます。火焼を手に取り、大きく一口かじると、口いっぱいに香りが広がります。私の説明を聞いて、食べたくなりましたか。ぜひ私の故郷に来て、美味しい火焼を味わってください。